中毒症状雑記

何かを書きたくて仕方ない時に書きます。

意識高い布教がしたい

何もまとまってないんですけど、書き出すうちに自分の考えがまとまればいいなあ的な考えで書きます。
※この文章は気を抜くとバーサーカーになる系のオタクが書いています。

こんにちは。平ジェネFINAL後に映司とアンクが気になって『仮面ライダーオーズOOO』を見始める人がネット上に散見されとても嬉しく思っているオーズのオタクです。
まず、前提として言っておきたいのは、以下書くのは「全て個人の考え」であり、これが正しいと誰かに押し付けるような意図はありません。私がどこかに自分の考えを残しておきたかったからこのツールを使っているだけです。
私は他者の考えを侵害するつもりも否定するつもりもありません。

さて。上記のように私は今大変、とても、かなり、嬉しく思っています。今までオーズを見ていなかった人が、仮面ライダーを見ていなかった人が、オーズを見ている!これ以上嬉しいことがあるか!と叫びたいくらいには嬉しいのです。私の愛する者達が誰かに認識され、尊ばれ、時には紡がれた物語に涙を流す人がいる。なんて嬉しいんだろう。私まで泣けてくるわ。
と、現在こんな感じです。

で。私の中で考えていることがあります。それは、既に見た側の意識の所在。
「オーズはいいぞ」「オーズを見てくれ」そう言うのも、「次はこれを見て!」「こっちもいいぞ!」と言うのも、なんだって言えてしまう。
だってイイものはイイのだから、どんどん見てほしいじゃん。
分かる。とても分かる。
たとえばオーズを見たならフォーゼを、とか、Wを、とか、言いたくなる。MOVIE大戦MEGA MAXを見てほしいので、フォーゼを知っててほしいとか、逆にAtoZのオーズを見てほしいのでWを知ってほしいとか。あるある。
仮面ライダースーパー戦隊っていわゆるテレビシリーズ・本編以外の展開が多い作品が近年とても多い。だから、既に視聴している側の人は善意として、知らない人に本編以外の彼らも見てほしい!とたくさんオススメしてくれる。他にもMVや雑誌やブログでも、と供給はごろごろ転がっている。
で、だ。
私も含めて、勧めるという行為には限度がないことを、なんとなーく意識したいところである。という話。
勧めるのは簡単だ。あれもこれも、こちらは『既に通った道』なのだから、その記憶を公開しているだけだ。でも自分がそうされたらどうだろうな、と私は考えた。『オーズ見終わりました』と言った自分に「じゃあこれとかオススメです!」「だったらこの映画も見てほしいです!」うん、気持ちは分かる。すごく分かる。でも私はきっとそれらを、その時流れてきたものも私宛に善意で送られたものも全部無視するだろう。だって、

そんな余裕はない。

ない。絶対ない。というかなかった。平ジェネFINAL公開前にリハビリと称してオーズ全話見たけど、最終回を見終わったあと即座に思考を切り替えることは不可能だった。
オーズに限ったことじゃないのは十分承知だが。
そんな余裕はないのだ。
自分よりも作品にまつわる色々を知っていて、既にこの余裕のなさを乗り越えている人たちから映画やスピンオフや小説を勧められても「ちょっと待って、今は無理」としかならない。私はね。私の話です。

余裕がない自分が何を考えているか、なんて1つしかない。オーズという物語のことを考えている。自分の言葉で、この作品を、物語をなんと形容すればいいのか?この物語は何だったのか?映司は、アンクは、比奈は、と、とにかく結末を迎えた物語を受け入れるので精一杯だ。
そして、そんな最中に「実はここってこうなんですよ」など裏話が来ても混乱するだろう。こっちはまだ考えがまとめきれてないんだと。

で。
裏話を語るのはいいと思います。オーズにはたくさんあります、その類のものが。
けれどそれは、果たして真実でしょうか。
制作者たちから公開された情報は、確定的なものだったろうか。誰かに伝える時に、あなたの考えにすりかわっていないだろうか。ソースははっきりしているだろうか。細かいようだけど、そういうことはちゃんとしといた方がいいと私は思ってるんです。
あなたの解釈をさも公式のように語るのは、ねえ?と。私もしているかもしれない。大いに可能性はある。
けれど、「作品の裏話を何も知らない人に、さも公式のように自分の解釈を語ると、その人はそれが公式見解なんだと信じてしまう」、というのは胸に留めておきたいです。
私はしたくない。
他人の解釈の根底に自分の勝手な解釈を植え付ける行為を私はしたくない。
私はその人がオーズをどう見て、どう捉えるのかが楽しみだからです。
5~6人、オーズを見終わるまでのツイートを読んでいましたが、それぞれ皆さんが、その人が今まで見た作品やキャラクターとオーズの類似・差異を書き出して、自分が分かりやすいように整理していました。ようは自分の引き出しを開けながらオーズを見ている。
オタクだったら分かる感覚じゃないかと思います。私もまどマギ見ながら「龍騎じゃん…鎧武じゃん…」とか言ってました。
こういう『捉え方』って千差万別なんですよね。その人が過去どんな作品を体験しているかによって全く捉え方が異なってくるから。土壌が違えば育つ作物は違う、みたいな。
私はそれをこっそり見るのが好きなので、そこに第三者の介入があるともやもやしてしまいます。まあ、その本人は何とも思ってないだろうし、介入した側も無意識かつ善意でやっていることなので、それこそ私が介入する権利もないんですけど。でももやもやする!ということが言いたかっただけです。

今考えがまとまりました。
布教の際は情報ソースを明瞭に
物語の捉え方は十人十色
(特に自分が好きなものの)布教相手には節度をもって

こういうことを念頭に置いて、自分のやれる範囲で布教していければいいなと思ってます。