中毒症状雑記

何かを書きたくて仕方ない時に書きます。

仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル公開によせて

・まえがき

久々にこのブログの過去の記事を見たら文章がものすごく痛くて消そうかと思いました。
ただ、私がこれから語る内容を考えた時、過去の記事が残っていた方がいいかと思ったので、手つかずで残しておきます。
こちらではひたすら憎悪の話をしますので、「コイツただ文句言いたいだけのアンチでは?」と思ったらご確認ください。文章は痛いけどそれゆえに愛はあるはずです。



・本題

こんにちは、十年来のオーズファンです。こちらの作品の公開に併せて、ある人間の呪いを公開します。
これは2021年11月5日に例の作品が発表されたことで噴出した、この10年間蓄積した恨みを綴る文章です。過去の自分の主張との整合性や正論も無い、ただひたすら他者を傷つけるお気持ち文です。
検索に引っかかるように作品タイトルを入れましたが見たくもないのでここからは名前を出しません。

でははじめに、結論から書きます。
仮面ライダーオーズは2011年に完結しているので、完結編は存在しません。」
「よって私は今回の作品を仮面ライダーオーズだと思っていません。見る予定も永遠にありません。」

「見てから意見を言えば?(見てないのに文句を言うな)」という意見に関しては「私は仮面ライダー4号を見て『この作品を見てしまったこと』自体を後悔したことがあるので、その間違いを繰り返さないために見ません」とお返しします。

①こんな記事をわざわざ公開する理由
②本件に至るまでの思考
③だから結局何が言いたいのか?
の三本立てでお送りします。





①理由
何か不満があるならその時ちゃんと怒って問題を指摘すべきだったという話

…………まあぶっちゃけた話、こんなものをクローズドな場所でないところに書いて、残してしまうことが怖かったのだと思います。自分の発した文章に責任を持つのが今も怖い。
でも、いつまでも「見えない」状態では、当然、私の意見は誰にも届かない。これまで、それでいいと思っていました。俳優や制作陣にネガティヴな意見を見せるのは良くないだろうと考えていたからです。

けれど、Time judged allの歌詞替えについての鳴瀬シュウヘイさんの「原曲至上主義からアンチを生みやすいリアレンジという手法に、ベストの判断だと思いました。さすがです」という2020年のツイート(https://twitter.com/shuheinaruse/status/1313002008354275329?s=21)を見た時、再確認しました。
「あっ、あの歌詞替えでアンチいないと思われてるんだ」と。
8years later、絶対解釈違いだろうなと思って視界に入れないようにしてたんですが、このツイートを見て「100%賛辞を受ける歌詞なのかな!?」と思い歌詞を調べ、「やっぱりめちゃくちゃ解釈違いだな~」と思いました。(火野映司が偽物に手を出せないなんてことあります?制作の方って仮面ライダーオーズご覧になったことない感じ?)
でも少なくとも彼ら制作側には私のように「視界にすら入れたくない人」の意見は見えていません。私は視界に入れたくないのだから意見を言うこともありません。いえ、言うことはあっても検索には引っかからないように言います。鍵アカで言います。リプライなどもちろんしません。だから見えなくて当然。

なので、言おうと思いました。言わなければ見えないからです。
罪悪感がないと言えば嘘になります。純粋にオーズを愛し続けられなかったことは本当に申し訳ないと思うし、この行為に正当性はないことも自覚しています。自己嫌悪もたくさんある。
でも、楽しめない自分が悪い、公式は悪くない、とかそんな殊勝なファンのような甘ったるいことはもう言えません。
だから10年積もった怒りをここに連ねます。



②思考
いちコンテンツと自分との境界線を完全に見失ってしまった人間の末路

「Not for meの精神を持った方がいいのでは?」
そうですね。私もそう思います。でも無理だったので今これを書いています。
私にとっての仮面ライダーオーズは、自分の人生や価値観から切っても切り離せないものです。これはポジティブな意味もありネガティヴな意味もあります。
オーズに何かあれば一喜一憂していました。この10年ずっと。
つまり、春映画の度に、
「すごい雑だったな…」
「今回はモブだったのでセーフ」
「死者への念が事件を引き起こしたと言われて火野映司が罪悪感か何かで俯くと思ってるのか?」
「頼むからなるべく画面に映らないでくれ」
「人々の声でライダーたちが現れるシーンなのに『アンク…』の演出は違うだろ(※冬映画)」
と、なっていました。
(春映画を最後に見たのはレンタルした3号で、続く4号で絶望したので見るのをやめました。FOREVERに関してはこのシーンのネタバレを聞いた上で見たので対ショック姿勢はとっていました。それでも最悪の気分になったことに変わりはありません。)
春映画だけではありません。
割れたタカコアメダルのグッズ、たくさんありますね。最終回後に展開されたグッズで割れてない方がちょっと珍しいぐらいです。というか10周年ロゴで割れています。この10年延々とこすっていただきましたね。
平成ライダー20周年にダッシュストア(https://dashstore.net/title_item/hkr20/)で販売された商品には、コアメダルのアイシングクッキーがありましたね。商品説明には「タカメダルは割ってもおいしい!」と書かれていましたね。ジョークだとしても心底つまらないです。なぜコアメダルに関してだけこんな文章になっているのか、理解に苦しみます。


そんなに最終回が好きですか?そんなにアンクの死は悲劇的で、残された火野映司は可哀想な男で、割れたメダルはエモいアイテムですか。
そうなんでしょうね。きっと「公式」にはそう見えているんでしょう。だからいつまでも最終回を感動ポルノにし続けて、自ら価値を落としていった。
私にとってあの最終回は希望です。アンクの死は彼が手に入れた生の証明で、火野映司は一年前とは何かが違う旅人に戻る。そういう風に見えていた。アンクの死は悲しい。悲しくても、そこには確かに幸福があったとそう思っています。だから大切にしたいのに、あなた方は延々と悲劇として扱って、そして遂に最終回の否定をやってしまった。

どうして終わらせてくれなかったんですか。
MEGA MAXで続きがあるようなものだと思ったからですか?
そもそも最終回直後の冬映画で本編で死んだ人気キャラクターを軽率に復活させるのをやめろという話ですが。画面には映るけど復活していないというキャラクターの尊厳を守るやり方にしたのがMEGA MAXだと思いますが。
そのMEGA MAXがなければ、火野映司は旅に出ただけでアンクを復活させるため研究員になったと明言されることは無かった。最終回で終わってくれさえしたら、火野映司というキャラクターがアンクに執着しているという認識にもされなかったのに。
どうしてあのまま終わらせてくれなかったんですか。
どうしてですか。平ジェネFINALでも復活させるのはよくないと思って一時的な再会と別れにしたじゃないですか。あの時盛り上がったからいけると思ったんですか?

小林靖子さんはもう書かないのに?

10年です。10年です。中学生が成人式を終えても忘れられない。
もはや人生に食い込んでしまって、無視することもできない。それどころかあの8月28日より前の自分がどんな人間だったか分からない。何が好きで何が嫌いで何にお金を使っていたのか、遠い他人の記憶になってしまった。
それくらい自分の全てを塗り替えたものに対して、今更「これはNot for meだなあ」なんて一言で片付けられると?
そんなわけがない。そんなにお行儀のいい人間にはなれなかった。欲望はけして悪いものではないと、己の欲望に向き合えと教えてくれたのはオーズでした。
何度も考えました。オーズに出会わなければもっと違う人生だったはずだと。オーズに出会わなければこんなに生きるのが苦しいこともなかったのに。怒りを発露するたびに、何度生きづらそうな人と言われたことか(これを読んでる人も言うんでしょうね)。
東京国際映画祭で発表された11月5日の夜、いっそ死のうかと思いました。作品が公開され、世に浸透するのがあまりにも嫌で。そんな世界に生きていたくなくて、どう死のうか夜通し考えました。最初は人に迷惑をかけない死に方を考えていたけど、「死んだらそんなことどうでもいいのだから何もかも放り出して死ねばいいや」まで、考えました。
けれど、こんなものの為に誰が死んでやるか、という結論になりました。
だから仮面ライダーオーズは大好きだけど、これは仮面ライダーオーズではない。ここには何も無かった。
そういう区切りをしないと、私は生きていけないと思いました。


③結論
愛と憎悪は同時に成立する

もう、これだけのことを言ってしまっていますが。
本当に傷つけたくなかった。作品を作ってくれた人たちを傷つけたくはなかった。作品を愛している人たちも、同じように。それは本当です。だからずっと黙っていようと思っていた。多分これを公開するギリギリまで悩んでいる。
でも私は、作品を作る人たちよりも自分の方が大事です。私が死ねば文句を言う人間が一人減ってそれで丸く収まると分かっていても、自分が大事だし、これからも大切にしていきたいから、自分以外を傷つけます。

たくさんの人が関わってる仕事だろうということや、たくさんの人の思いが無ければこの作品は出来ていないのであろうということは想像できています。

その上で、ここまで一作品の失敗を祈ることはこれより他にありません。

視聴者全員が見たことを後悔し、こんなもの見なければよかったと項垂れ首を振るくらいに失敗してほしいと思っています。

仮面ライダーオーズが大好きなので、本当に憎い。何もかもが憎い。脚本がとかプロデューサーがとか俳優がとか、誰が悪いとか、もう、そうじゃない。平等に何もかも憎い。全部。作品に関わる全てのものが、人が、全部憎い。
今も愛している作品を作った人たちなのに、それでも心の底から呪うほど憎い。

あの作品が、私が一生見ることの無い作品が、世界から葬られることを祈っています。見た誰もが記憶から消すことを祈っています。

仮面ライダーオーズが大好きです。
そんな自分をこれ以上傷つけないために、全てを呪います。



………………………では、「公式」に何をしてほしかったのかと言うと。

仮面ライダーオーズという物語に、これ以上何もしないでほしかった。
ただそれだけでした。

今まで、ありがとうございました。
















・あとがき

作品を見たことを後悔した人へ
あなたが作品に抱いたどんな感情も間違いではありません。受け止めるも受け止めないもあなたの自由です。ただどうか、自分のメンタルを大事にする選択をしてほしいです。
作品を否定してもいいんです。無かったことにしてもいいんです。呪ってもいいんです。そうやって生きる人間が、少なくともここに一人います。
願わくば苦しむ誰かが、少しでも救われますように。